カメラマガジンの石川文洋さんの記事を今日じっくりと拝読。サラッと読むのがもったいなくてとっておいたのだ。
今回の写真のカメラはライカM2にズミクロンの35mmF2、ニコンF2、オリンパスペンワイドとのこと。
2001年の9.11で世界貿易センターが崩壊した後、2002年2月にNYを訪れグラウンドゼロを撮影した僕は2002年7月の「ライカ通信 No.7/ライカM7完全マニュアル」にて「マグナム」の写真家スーザン・マイゼラスがソーホーのアパートを飛び出しチャーチ・ストリートから貿易センター崩壊を撮った写真に改めて釘付けになった。
その次のページをめくり、僕は初めて石川さんを知るのだった。記事はアフガニスタン取材記。フィリピンで盗まれてしまったために、この時はライカM4とズミルックスを持って出て、電気の点かない学校で役に立ったと書いてあった。
時は経ち2005年の旧カメラマガジン no.1でライカM6での「ベトナム戦争集結30年の旅」
表紙は、写真とは何かを教えていただいた田村彰英先生。後半には「灼熱のバリ」でハッセルを購入するキッカケとなった森谷修師匠、ニコンF3を購入するのにアドバイスいただき、写真をコレクションしたときは直筆のお手紙をいただいた長徳先生。
そして2006年の7月「カメラマガジンno.3」にて石川さんがお遍路を廻る記事に、20歳で病気で母を亡くし鬱になりかけていたときに中学校の担任の先生に連れられてお遍路を制覇した時のことがフラッシュバックした。大きな岩を鎖を伝わって登った先に10センチほどの観音像が有り、後光が差していた。思わず涙ぐんだのを今でも思い出す。しかし、この頃のモノクロの印刷は秀逸、カラーも紙質も全然違うことに気がつく。
ライカ通信No.1に遡ってみると、今の僕の回りをとりまく人々は、ライカが連れてきてくれた縁なのだと改めて気がつく。そして、改めて写真を眺めてみると素晴らしい写真の数々。
こうしてみると、やはり「いいカメラは人生を楽しくする」のだなぁ。
おまけ
「カメラマン人生 旅と酒」も超お奨めだけれど…
「私が見た戦争」の写真をぜひ見ていただきたい。
その記録を見るだけで、反戦・平和への願い心に刻むのではないでしょうか?